礼拝説教

「緑」薫る季節

2024年6月1・2日聖霊降臨後第2主日(緑)
(マルコ2章23-節)
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン

新緑が薫る季節。教会暦は聖霊降臨後の期節、典礼色は希望と成長を表す緑です。私たちの信仰を養うものは礼拝です。ただ、今も昔も、礼拝の日、安息日のあり方は私たちを悩ませもします。
イエス様は、ある時、弟子たちが安息日に麦の穂を摘んだ事に対して、ファリサイ派の人々、つまり当時の宗教指導者たちから敵意ある指摘を受けました。
これに対して、ダビデの話をもって相手の誤りを指摘し、そして言いました。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」。安息日は創世記の天地創造に由来し、出エジプト記に「仕事をやめる」ことが明記され、十戒で聖なるものとするように命じられた日です。生きるために働き、飢え、労苦する人間たちに示された解放の日とも言えます。それなのに、今度は、イエス様が安息日に片手の萎えた人を癒す奇跡を行なった時、気に食わないファリサイ派の人々はイエス様を憎み、殺害を相談し始めました。イエス様は命を救い、善を行ないました。対して、人は悪を企て、殺す決意をしたのです。この悲しい現実に、イエス様の言葉が響きます。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか」。
私たちは、今も昔も、労苦の中に生き、人の想いに囚われて生きる存在です。しかし、そのような私たちに安息日の主が与えられました。それは、私たちが人の想いから解放され、魂を養われ、生きる力を得るためでした。主の日の礼拝、それは「主が」私たちに働かれるという神様が主語になる時です。そして私たちは、みことばを受け、この世界にみことばを届ける者とされていきます。安息日の主に感謝し、みことばに養われて成長し、神様の恵みの中を歩む者とされてまいりましょう。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン

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